忌中と喪中
父の母の50年忌ということで、実家に帰りました。父の父のはまだ十数年先のことだそうで、その頃は両親も生きているかどうかわからないからということで、長男も次男もなくなってしまったので三男の父の最期の親孝行ということになりそうです。親戚や近所の人などと久しぶりにお目にかかることができました。田舎の家はどこも田んぼの田の形をしていて、ふすまをはずせば大広間になって、人がたくさんあつまることができるようになっています。普段使っている両親のベッドを解体して、広間をつくり、ご近所の方や親戚の方などが集まってくださいました。座布団からお湯のみまで人数分を用意し、最後には親戚の人に食事を出してもてなします。昔のことを思えば食事など仕出し屋さんから取るので準備もずいぶん楽になったとか。最近はお葬式なども葬儀場ですることがおおくなり、自宅で人をもてなすことはこれが最後かもしれないねえと話ました。腰のまがった母と耳の遠くなった父と一緒に片付けをして帰ってきました。
で、本題の忌中と喪中の話。お坊さんの法話の中ででてきたお話です。お坊さんといっても兄と同級生で、私も子供の頃からしっている人なので、どんな話をするか興味津々でした。今年お坊さんのお父様がお亡くなりになったそうです。それでも年賀状は出しますよということです。人がなくなったらおうちに忌中の張り紙をしたりしますが、それは昔伝染病などでなくなったりして、近寄ってはいけませんよなどという場合のものだそうです。死んだら常々浄土にいきたいと願っていた本人の願いが達成されたのだから、喜んでやらないといけない。穢れたものでもなんでもないのだから、そういう張り紙はしてはいけない。人がなくなったらこの季節喪中のはがきが届くが喪中という言葉もやめてほしい。いついつなくなったという報告や、あけましておめでとうという言葉もつかっていいそうです。新年を祝って後、家族のだれそれが浄土に旅立ったという報告をして、生前のご厚情を感謝すればいいのだとか。私はいままでお香典は宗教に関係なくご霊前と書いていたのですけれど、母によれば、霊などないのだから、なくなったら直ちに浄土に生まれ変わるのだから、霊前ではなく、香典または仏前とするのだとか。ふーん、でした。
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コメント
ふう~ん そうなんだ と分かっても変えて行くのは難しいですね。
喪中の葉書が来て 新年の挨拶を送る勇気がありません。流れに流されている感じです。
田舎の家は便利ですよね。大人数の時には何時も思っています。実家がそうですから…
投稿: ひまわり | 2006年12月11日 (月) 20時06分
いつもコメントありがとうございます。喪中という言葉を使って案内はがきがきたら、それはもう新年の挨拶はいらないと思います。年が変わってから寒中見舞いでも出せばより良いでしょうけれど、なかなか忙しさにまぎれて失念してしまいがちです。相手に応じて変えるのは大変だから世間一般の常識に従っておきましょうというのが普通ですねえ。
投稿: | 2006年12月12日 (火) 08時52分