都会の中の史跡
昨日久しぶりに都心を歩きました。といってもJR福島駅から5分だけなんですけど。堂島川に突き当たって朝日放送の角を曲がったら、とてもきれいな景色でした。ゆったりとした川が流れて橋が架かっていて、高層ビルが建ち並んで。で、ふとみると福沢諭吉誕生の地という石碑が建っていました。隣には中津藩蔵屋舗の跡というのもありました。このあたりはほんの150年ほど前には蔵屋敷が建ち並び、川から米俵を運ぶ人でにぎわっていたのでしょう。蛸の松というのもありました。現在の松はそのころのものではないようですが、それでも当時の人たちが白壁や川に映る松をめでたという心のゆとりを感じました。雪の日、月の美しい日に松を仰いで、風雅を感じたのでしょうね。私もすぐデジカメを構えるのではなく、もう少し目でじっくりと味わいたいとおもったことでした。昨日の会場となった、堂島リバーフォーラムの建物と対岸の景色もパチリ。
蛸(たこ)の松の由来を写しておきました。
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江戸時代、中之島には諸藩の蔵屋敷が建ち並び、屋敷前には各藩自慢の松が植えられていました。人々は屋敷の白壁と川の流れに映る松の景色を楽しんだといわれています。
なかでも、堂島川のほとりの久留米藩と広島藩の境の浜の松は、枝振りが蛸の泳ぐ姿に似ていることから「蛸の松」と呼ばれる名木でした。月の夕べや雪の朝の眺めはとりわけ美しく、絶賛されました。
江戸時代の「蛸の松」は、地図に示す対岸にありました。明治維新後は、大阪府師範学校付属演習小学校(現大阪教育大学付属天王寺小学校)が大阪久留米藩蔵屋敷跡地に開校し、その同窓会は、この地の松に因んで「雛松会」と名付けられました。
その後、「蛸の松」は次第に樹勢が衰え、明治時代も終わるころ、枯死してしまいました。その切り株は現在、大阪教育大学に大切に保存されています。
このたび護岸の美化にあわせ、かつての風趣を偲んで、「蛸の松」をこの地に再現しました。
平成16年 雛松会
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