開眼供養
日曜日の午前中に注文していたお仏壇が届きました。
最近流行のコンパクトなものです。
本当は住宅を新築したら、仏壇をいれるそうですが、
ほとんどの都市の住宅では、家族の誰かがなくなってから
仏壇を購入することがほとんどだとか。
で、白いご飯のかわりに赤飯をお供えし、仏花を飾り、
紅白の饅頭をお供えするそうです。
午後からお寺さんにきていただくことになっていたので
あわてて買いに行きました。
お花はそのままではコンパクトな仏壇には不釣合いなほど
大きすぎたので、少しカットして、量も減らして生けなおしました。
お寺さんにお渡しするものもお布施ではなくて、
お礼なので、紅白の水引のついた祝儀袋をつかうとか。
家にお仏壇をいれるというのはおめでたいことなのだそうです。
法要の途中で小さな焼香台をまわして、
おじいちゃん、主人、私、息子の四人が焼香しました。
終わってからお寺さんに教えていただいたとおり、
仏壇の前に、おばあちゃんの遺骨の乗った白木の机を
移動しました。お花や果物などはお盆にもって
たたみの上においていいそうです。
来週の土曜日から毎週四七日、五七日と続いて
四十九日が終わったら月命日だけ来てもらうそうです。
春になったらお墓にお骨を収めないといけないし、
何かと気ぜわしいことですが、こうして行事をこなしていくうちに
残されたものの気持ちの整理ができていくということなのでしょう。
私の時には法要なんていらないから、
みんなでおいしいものでも食べにいってよねというのですけれど、
死にいくものが残されたものに指図しようというのは
おこがましいのかも。残された人の気持ちの整理ができるように
してもらうしかないのですね。
私のためなら、葬儀もいらないのですけれど、
どうしてもするのならなるべく質素にしてほしいなあと思います。
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コメント
我が家にはお仏壇は無くて、義母宅には昔からあったので、そういう儀式はしたことがありませんでした。興味深く読ませていただきました。「自分の時はお葬式は質素に」というお気持ち、よくわかります。私も常々、夫に、「誰にも連絡しなくていいから、身内でそっとやって」と言っています。知り合いが誰もいなくなるほど長生きすれば、願いはかないそうですが。あんまりこんな話をするのも縁起が悪いかもしれませんね。
投稿: ななこ | 2008年12月 3日 (水) 22時59分
常日頃からもしものときのために話をしておく、
あるいは書き残しておくというのは、
残されたものにとってとてもありがたいことです。
これからは元旦にはかならず遺言を書こうと
思います。
遺言といっても、何はどこにあるとか、
どのカードの廃棄の連絡はここへ、
などと実務ばかりになると思いますが、
主婦がいなくなるとたちまち
家中の情報が途絶えることになりますから。
私も誰も知り合いがいなくなるまで
長生きするかもしれせんが。
投稿: | 2008年12月 4日 (木) 03時48分