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2012年5月27日 (日)

野洲ハイキング

6845土曜日はJRに乗って野洲というところにハイキングにいってきました。毎週土曜日にガイドさん付きで開催されていて、参加申し込みもいらず、短い時間だというのでちょうどぽっかり空いた土曜日に参加するにはうってつけでした。新大阪の駅についても東海道本線塩津行き快速電車に乗るにはどこにいけばいいですか、なんて訪ねていましたが、ホームにおりて「やす」と読むこと、野洲行きの快速電車があることなど初めてしりました。終点までのればいいのだかららくちんだわと本を読んでいましたが、京都や草津のまだ向こう側でした。電車を降りるとすでに真っ赤なジャンバーのガイドさんがまっていてくれ、ようこそおこし野洲の看板が出迎えてくれました。

総勢13名で出発。まずは近くの円光寺。石造りの塔や古墳の上につくられた鐘楼。神社とお寺が同じ境内に同居しているなどの説明を受けました。古墳の中は空洞になっているので、鐘の音がとてもきれいに響くのだとか。

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バス停に移動して路線バスに乗り込みましたが、貸切状態で一般のお客さんが乗ってくるまではガイドまでしていただきました。バスを降りて、菅原神社へ。ここは年に一度の火渡り神事で有名だそうです。

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京都の二条城と同じ規模の永原御殿というのがあったとかで、ここは三の丸あと、とか二の丸はこのあたりにとか。堀のあとにはわずかに当時の石垣がのこるのみで、きれいに早苗が植えられた田んぼになっていました。

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清盛の命令で川を作ろうとしたが岩盤の固いところがあったりしてなかなかうまくいかなったところ夢に童子が表れて砂をまくからその場所に川をつくりなさいとお告げがあり、うまくいったところからその同時を祭っているといわれる土安(てやす)神社などを経由して、麦畑の中を祇王寺に到着。

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ここには檀家はなく、地域の人たちが守っているのだとか。
清盛に愛され、捨てられた悲劇の白拍子として平家森語りに出てくるそうですが、地元の村人が水がなくて困っています、川を作ってくださいと清盛にお願いして、いまもその川がのこるこの野洲の土地では地元に水を運んでくれた英雄あつかいなのだとか。紙芝居でそのストーリーをきかせてくださり、清盛や祇王にふんした人もおられて今年は大河ドラマもあって、野洲は大売出しのようです。

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昔の石垣の残る祇王井川、のちの人が土手に車を通すために川幅を狭くしたところなど。地用船通信使が通ったといわれる朝鮮街道も通りました。

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ここは以前天井川があった場所でその川の下を掘り進んだとか。今はその天井川はなくなったけれど、その下を通した名残でここから水がわき出ているのだとか。

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この辺りは蛍をまもるためにコンクリートはまったくつかわれていないそうです。

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ここは川が上下になって日本流れています。上は農業用水、下は洗濯などをするための川だったとか。地元では800年前も昔から環境問題を考えていた清盛さんはえらいということのようです。

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ここで川を分岐させて西と東の2本にながしているそうです。12時もすぎたのであとはてくてくと歩いて駅まで帰り着き、姫路行きの電車にのって新大阪まで。ここで昼食をすませて、千里中央でお買い物をして3時に帰宅。無理のない時間のハイキングでした。帰ってから本棚にあった古ぼけた平家森語りの口語訳の本をとりだして、祇王のところだけ読み返してみました。紙芝居で聞かせていただいた物語そのままの世界が広がっておりました。

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