草津
先日のDISCOVERWESTハイキングの野洲がよかったので、今度は草津にお出かけしてみました。
朝9時過ぎ新大阪発の新快速に乗り、高槻、京都、山科、大津、石山、南草津と止まって、10時前に草津に到着。
集まったのは男女11名。ガイドさんはカクシャクとした高齢の男性でした。草津にはボランティアガイドが30人ほどおられるそうですが、その中でも最高齢ではないかとおもわれ、草津が好きで歴史が好きでという感じがしました。
丁寧な説明を聞きながらゆっくりのんびり商店街の中を歩くと東海道と中山道の分かれ目にでてきました。以前はここに草津川がながれていたそうですが、京の都でいろんな建造物がつくられたのでそのたびに上流の山から木を伐りだし、とうとう裸山になってしまって、その土砂がながれだしたそうです。雨が降るとあふれだすので、底をさらってその土砂を堤防に積み上
げていったそうです。
江戸時代にはすでに砂川で、小さな橋を歩いて渡る渡し賃が最低価格で、水が増えるごとに渡し賃がふえていったのだとか。で、川の下を掘り下げてトンネルをつくり中山道をまっすぐにしたのだとか。そのあたりで東海道とわかれるのだそうです。
道しるべの石碑もありました。一里塚には松の木が植えられて、日陰をつくり、旅人の疲れをいやしたのだとか。大名などの宿泊施設である本陣には細川越中守宿という陣札が掲げられていました。いまでいう○○様ご一行様という宿にあげられた看板のようなものですが、宿場の出入り口と本陣の前の3か所に掲げられるとか。○○「宿」というのはその大名家が宿泊施設の台所を借りて、一行の食事を整えることをさし、「泊」というのが本陣側で食事をお出しすること、「休」は今でいうランチで「小休」こやすみというのが今でいうティータイムのみの利用ということのようです。そのたびに3か所に看板をたてに走る当時の人々の姿が浮かんでくるようでした。
お蕎麦屋さんも酒屋さんも当時の街並みを模したクラシックな商店街を、2時間ほど歩いてまた電車にのり降りたころには雨が降り出しました。また機会があればどこかに行ってみたいなあと思います。
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